

〒220-0073 横浜市西区岡野 1-5-8 横浜平沼高校内 jimukyoku@masumikai.org (045)311-3356
元木勝美さん(通10期)がお名前を入れました。参加の方のお名前を確認したい方、こちらの写真もごらんください。
いずみ支部懇親会報告
2024年11月2日(土)、いずみ支部懇親会を横浜駅前の「季節料理 なか一」で開催いたしました。今回2名の初参加で宮城県から来られた方もいました。
懇親会では5期から51期までの17名で近況報告などをお話をして語り合いました。食事後は近くのカラオケボックスに12名で行きました。今回は雨が降っていましたが、17名もの人数で開催できて感謝です。
また、真澄会で125周年式典の取り組みがあることで、皆様前向きに質問などしていました。来年の再会を話し、雨の中で皆様帰りました。
支部を支えていただいている真澄会などありがとうございます。125周年式典の成功を願います。
岡本康宏(通48期)
日 時:令和6年11月02日(土)14時~16時
会 場:横浜駅西口 季節料理「なか一」 (横浜市西区南幸1-10-18)
会 費:男性4,300円、女性3,900円
幹事:岡本康宏
2024年度真澄会西湘支部会報告書
2024年8月7日から12日迄、横浜高島屋美術画廊に於いて、作家として現役で活動している卒業生による美術展”ももふねちふね展”が開催されました。参加者がミ-ティングと作品制作を自身の仕事と両立させて、2年前より今回の為に準備をしている事を知り、西湘支部会として何か出来ないか考えました。賑わいの創出ならばと思い、毎年11月開催の支部会を8月に前倒しする事にしました。8月8日猛暑日の中、25名の方が画廊の入り口に集合。真澄会より贈られた華麗なお花が私達を出迎えてくれました。
会場は、絵画、写真、工芸、根付、アニメーション、またジャンルの違う作家とのコラボレーション等 ”領域を越える”という展示で、単なる同窓会展ではないという印象を受けました。
これは時代の流れと変化を敏感に感じとり、新たな世界へチャレンジする、江戸時代から続く高島屋スピリットの後押し無しには成し得なかった事でしょう。
その後ホテルのレストランへ移動し、会食となりました。各テ-ブルでは会話が弾み、皆さんに自己紹介を兼ねて一言ずつお願いをしました。自身のコンサートの予定、校歌祭の様子等、ふと気が付けば音楽の話題が中心となっていました。午前中は美術、午後は音楽、そして同窓生の落語家の紹介や何十年ぶりの再会ありと、盛り沢山な一日となりました。格調高い校歌を真柱として、これからも文化的な校風を皆で作り上げて行く事と思いました。
安藤澄子(68期)
令和5年度 いずみ支部総会懇親会が、2023年11月11日土曜日に横浜駅西口にある季節料理なか一で開催致しました。
懇親会に真澄会会長の皆藤慎一さんも参加して下さいました。
参加者は14名で通信制からは
通5期 浅野敏治
通24期 山内金七
通24期 白井嘉子
通27期 池永優子
通27期 菅原広子
通28期 宇治延恭
通31期 杉江ヒサノ
通34期 城所弘美 (初参加)
通41期 加山キン子
通41期 梅津美香 (初参加)
通44期 黒沼勇
通48期 岡本康宏
通51期 河本若江
総会懇親会前に母校平沼高校に6名程集まり、歴史資料展示室などを見学して皆さん懐かしい感じでした。
総会懇親会後は7名程で近くのカラオケボックスでのど自慢しました。
来年の開催予定は横浜駅西口 季節料理なか一で令和6年11月2日 土曜日 14時から16時ぐらいで考えてます。
詳細は開催前にホームページに掲載します。
参加希望の方は幹事 岡本まで人数把握などの為連絡お願い致します
090-5584-4140 岡本
前略
皆様 お元気ですか?
昨年に続き、今年も平沼高等学校真澄会いずみ支部総会懇親会を開催いたします。
ご多忙かと思いますが、是非どうぞ。
草々
追記
総会前に、母校平沼高校内にある、真澄会歴史資料展示室や資料保管場所6階にて見学を予定します。
見学希望の方は、12時30分に校門前にお願いします。
日 時:令和5年11月11日(土)14時~16時
会 場:横浜駅西口 季節料理「なか一」 (横浜市西区南幸1-10-18)
会 費:男性4,500円、女性3,500円
幹事:岡本康宏
スタッフより:
2022年11月13日(日)に行われました、「いずみ支部」の総会・懇親会のご報告および当日のご感想が届きましたので、写真と共に紹介いたします。
8期生の小澤睦男です。
2022年11月13日のいずみ支部の総会懇親会に参加させていただきありがとうございました。
毎回丁寧な総会案内をいただきながら、ご無沙汰しておりまして何とか1回でも出席してご挨拶したいと思っていたところ、チャンスが生れまして皆さんにお会いすることができまして良かったです。しかも総勢13名も集まって盛会でしたね。
私は1960年入学、1964年卒業の8期生ですので、いずみ会にお集まりの方々は私よりずっと若い方なのだろうと思って少し戸惑いながら参加しました。
同じ平沼通信の卒業生ということですぐに打ち解けて和やかな総会懇親会になりました。懇親会に出かける前に真澄会のホームページをサラッとみていました。平沼通信制が幕を閉じてすでに十年あまりがたちました。私は1960年に就職して翌年に平沼通信に入学しましたが、その年に通信制単独の卒業式が行われたことも知りました。第一期卒業生はたった一人、松本道男さんだということは入学当時から聞かされていました。当時は憧れの人でした。
ホームページのおかげで在学していた前後の歴史を振り返ることができ、今回のいずみ支部総会懇親会に違和感もなく参加することができ、初対面の方ばかりだったのに、旧知の間柄のごとく親しく懇親ができました。
いずみ支部として継続的に総会などを開催してくださった役員のみなさんには感謝するばかりです。卒業してから六十年近く成りますが連絡のつくクラスメートもいますので、今回の様子を伝えて、これからも機会があれば誘い合って参加したいと思います。ありがとうございました。
2022年12月 小澤睦男(通8期)
日 時:令和4年11月13日(日)14時~16時
会 場:横浜駅西口 なか一 (横浜市西区南幸1-10-18)
会 費:男性4,500円、女性3,500円
幹事:岡本康宏
令和3年(2021年)10月16日
第68回仙台真澄会報告
宮城県の感染数が減少傾向にある中、令和3年(2021年)10月9日(土)午前11時より仙台市泉区郊外にあるSTARBUCKSで約2年半ぶりに松岡千代子さん(57期)とお会いし仙台真澄会を行いました。本来は仙台駅近くの和食レストランでランチをする予定でしたが、出席予定者が急遽参加できなくなりちょっと寂しいですが二人だけでお茶をすることにしました。
松岡さんは今月80歳になられるそうですが全然お変わりなく若々しくお元気そのもの。特に健康診断などはされてないそうでそれもびっくりです。コロナ禍の中でも趣味のヴィオラや陶芸は変わりなく続けられご家族の食事の支度に相変わらずお忙しい日々です。手作りの綺麗なマスクを頂き感謝で一杯です。私は東北大学の留学生を支援するボランティア活動がほとんど無くなり心の中にポッカリ穴があいたようで寂しかったですが、せっせとジム通いをしていました。主にプールで週3回程水中ウォーキングやアクアビクスなどを続け風邪もひかず体調はいいです。最近水泳にチャレンジしています。。週一回程のカナダ人との英会話はボケ防止の為に続けています。
現在全国的にコロナの感染者は激減していますが、まだまだ先は見通せません。来年の事を言うと鬼が笑うといいます。この先どんな状況になっているかわかりませんが、一年に一度はまたお会いしましょうと約束しお別れしました。
スタッフより:仙台支部長斉藤彰世さん(66期)からは、真澄会スタッフにも温かいメッセージをいただきました。どうもありがとうございました。
よろしくお願いいたします
真澄会埼玉支部長 加藤真理
「目に青葉 山ほととぎす・・・」一年のうちでもっとも清々しい季節のはずですのに、世の中、重苦しい空気に包まれております。
埼玉支部の皆様には、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。
平素は、支部の活動にご理解、ご協力頂き、有難うございます。
さて、このたび新型コロナウイルスの感染が拡大している状況を受けまして、会員の皆様のご健康と安全を最優先に考慮いたしました結果、2020年度の総会・見学会は見合わせることにいたしました。
20年近く毎年開催しておりましたのに、大変残念です。
一日も早く事態が終息し、来年は笑顔で皆様にお目にかかれることを幹事一同楽しみにしております。
どうぞ皆様お元気にお過ごしください。
幹 事
中村栄子(58期)、川田美津枝(60期)
土屋宜司(60期)、高木 進(63期)
横田一郎(63期)、加藤真理(67期)
畑 五月(78期)、木村和彦(71期)
2919年度西湘支部会報告 | |||
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2919年度西湘支部会報告 | |||
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2018年度西湘支部会報告 今年の真澄会西湘支部会は、晴天に恵まれた2018年11月14日に箱根湯本の旧道沿いにある福寿院で同窓19名が参加し開催しました。 特に今年は、横浜方面からも数名参加いただきとても賑やかでした。福寿院は、58期の松根さんのお寺でご住職からお寺の由来など説明を受けた後、全員で写経を体験しました。 慣れぬ筆に悪戦苦闘でしたが1時間後には見事出来上がりました。その後お堂内でお昼を頂き、学校前の伊勢屋さんや花菱のラーメン、クラブ活動などの話で盛り上がりました。今回は、64期の方が7名参加し実は同じクラブだけど知らなかったなどという話まで出ました。15時に散会となり箱根の温泉街を散策して帰路につきました。福寿院では、写経のほかに座禅なども行っており非日常的な体験に興味のある方は、予約をしてぜひお出かけください。(記64期両毛克己) ※原文のまま掲載しました |
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2018年11月14日(水) 西湘支部会の写真です。箱根湯本の福寿院にて写経を行いました。 | |||
2018年度西湘支部会報告 今年の真澄会西湘支部会は、晴天に恵まれた2018年11月14日に箱根湯本の旧道沿いにある福寿院で同窓19名が参加し開催しました。 特に今年は、横浜方面からも数名参加いただきとても賑やかでした。福寿院は、58期の松根さんのお寺でご住職からお寺の由来など説明を受けた後、全員で写経を体験しました。 慣れぬ筆に悪戦苦闘でしたが1時間後には見事出来上がりました。その後お堂内でお昼を頂き、学校前の伊勢屋さんや花菱のラーメン、クラブ活動などの話で盛り上がりました。今回は、64期の方が7名参加し実は同じクラブだけど知らなかったなどという話まで出ました。15時に散会となり箱根の温泉街を散策して帰路につきました。福寿院では、写経のほかに座禅なども行っており非日常的な体験に興味のある方は、予約をしてぜひお出かけください。(記64期両毛克己) ※原文のまま掲載しました |
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2018年11月14日(水) 西湘支部会の写真です。箱根湯本の福寿院にて写経を行いました。 | |||
平成30年7月22日 | |||
仙台支部長 斉藤 彰世(66期) |
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第67回仙台真澄会 |
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平成30年7月16日(月)第67回仙台真澄会が和風レストラン「波奈」で開催されました。 出席者は相澤英子さん(43期)、茂庭房子さん(53期)、松岡千代子さん(57期)と斉藤彰世(66期)の4名。 まず昨年10月突然他界された故早坂祥子さんの思い出話などをしました。活発でお洒落な方だったので残念です。ご冥福をお祈りいたします。 今年米寿を迎えられた相澤さんは現在横浜在住で、お元気におでかけをされています。茂庭さんは昨年体調を崩されましたが、今年は元気に参加されました。松岡さんは相変わらず家事にご趣味の陶芸にお忙し日々。私は昨年10月鶴見で開催された主人の水彩画の個展に平沼関係の方々が沢山お越し下さり同窓会の絆を感じました。いろいろ世間話をしましたが、やはり最後は健康の話題。どんな運動をしているかとか食べ物は何がいいのかとか。 出席者が少なくなりましたが、健康に気をつけて年に一度は元気でお会いしたいです。 |
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※原文のまま掲載しました。 | |||
平成30年7月22日 | |||
仙台支部長 斉藤 彰世(66期) |
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第67回仙台真澄会 |
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平成30年7月16日(月)第67回仙台真澄会が和風レストラン「波奈」で開催されました。 出席者は相澤英子さん(43期)、茂庭房子さん(53期)、松岡千代子さん(57期)と斉藤彰世(66期)の4名。 まず昨年10月突然他界された故早坂祥子さんの思い出話などをしました。活発でお洒落な方だったので残念です。ご冥福をお祈りいたします。 今年米寿を迎えられた相澤さんは現在横浜在住で、お元気におでかけをされています。茂庭さんは昨年体調を崩されましたが、今年は元気に参加されました。松岡さんは相変わらず家事にご趣味の陶芸にお忙し日々。私は昨年10月鶴見で開催された主人の水彩画の個展に平沼関係の方々が沢山お越し下さり同窓会の絆を感じました。いろいろ世間話をしましたが、やはり最後は健康の話題。どんな運動をしているかとか食べ物は何がいいのかとか。 出席者が少なくなりましたが、健康に気をつけて年に一度は元気でお会いしたいです。 |
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※原文のまま掲載しました。 | |||
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昨年度真澄会懇親会で歌声を響かせた、79期女声コーラスグループ「コーロ・コニーリョ」が、 2017年12月3日(日)、横浜市開港記念会館で開催された中区合唱祭に出演しました。 日ごろ指導をして下さっている清水(牛草)栄里さん(72期)指揮のもと、練習の成果を披露しました。 最後に審査員の吉田孝古麿さん(50期)より、あたたかい講評をいただきました。 |
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吉田孝古麿先生、牛草栄里先輩との記念撮影 |
昨年度真澄会懇親会で歌声を響かせた、79期女声コーラスグループ「コーロ・コニーリョ」が、 2017年12月3日(日)、横浜市開港記念会館で開催された中区合唱祭に出演しました。 日ごろ指導をして下さっている清水(牛草)栄里さん(72期)指揮のもと、練習の成果を披露しました。 最後に審査員の吉田孝古麿さん(50期)より、あたたかい講評をいただきました。 |
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吉田孝古麿先生、牛草栄里先輩との記念撮影 |
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真澄会 御中 新潟支部です。お世話になります。当支部は、本年で支部発足16年です。この間、新潟地震のため1回総会を休みました。 このため、今回は15回目の記念大会です。出席者は何名になるか、締め切りが9月25日のためまだわかりませんが、新潟在住の同窓生が多数出席してくれることを期待しています。 発会式では、野村会長、山口副会長(いずれも当時)にはお世話になりました。 新潟支部支部長:小出和子(65期) 総会は下記のとおり行います。 日時:平成29年10月1日(日)11時30分 会場:「越後まる松」クオリスビル3階、電話(025)243-3531 所在地:新潟市中央区東大通5-2-5 新潟駅万代口より徒歩3分 会費:3,000円 お問い合わせ:事務局 市川務 電話(025)386-5649 |
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9月12日、岸惠子さん(48期)の講演会が新潟県民会館で開催されました。真澄会新潟支部では岸さんに花束を贈呈しました。その時の写真です。岸さんの後ろ左は、62期の池田美穂さんです。市川務(50期) |
斉藤 彰世さん(66期)からのご報告とメッセージ |
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平成29年10月2日 仙台支部長 斉藤 彰世(66期) 第66回仙台真澄会 平成29年9月16日(土)第66回仙台真澄会が仙台駅近くの和風レストラン「波奈」で開催されました。 出席者は相澤英子さん(43期)、松岡千代子さん(57期)、と斉藤彰世(66期)の3名。 当初例年通り6月に開催を予定していましたが、急に体調を壊された方がでて開催ができませんでした。 いつもは横浜にお住まいの相澤様がお彼岸の為仙台にお帰りになるとお聞きしたのでこの9月に開催しましたが、3名とちょっと淋しい会となりました。 松岡さんは活発に活動されています。8月に初めて体験されたクルージングは想像していた以上に楽しかったとスマホで撮った写真を沢山見せて下さいました。相澤さんは横浜でご兄弟やお友達との交流を楽しんでいらっしゃいます。 私は10月半ば鶴見で開催する主人の水彩画の個展で平沼高校時代の先輩や同級生、関東にいる友達と久しぶりに再会するのを楽しみにしているなどの話をしました。 出席するメンバーの数がこのところ急激に減り淋しいかぎりですが、細々でも来年以降も続けていきたいと思っています。 |
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真澄会会長&真澄会事務局の皆様 いつもお世話になっております。 こちら仙台はこの一週間で気温がぐーっと下がり秋本番と言った所です。 9月4日のメールでお知らせしましたように、9月16日(土)やっと 第66回仙台真澄会を開催する事ができました。 遅くなりましたが、その時撮った写真と報告書を添付致します。 3名だけのちょっと淋しい仙台真澄会となりましたが、昭和52年 (1977年)から続いているこの仙台真澄会を細々でも継続 していきたいと思っています。 私個人としては10月16日(月)から鶴見で開催予定の主人 の水彩画の個展で平沼の仲間の何名かと会えるようで今からわくわく しています。 仙台にやってきて丁度20年経ちました。30年以上会っていない友人もいるので、 何から話せばいいかと思っています。 先日岸惠子さんのトークショーを聞きに行きました。 多分日本で一番綺麗で活発な85歳だと思います。目指せ岸惠子さん と言いたい所ですが、土台が違うから無理よと言われそうです。 でもいつまでも好奇心が強く、新しい分野にもチャレンジされる精神は 見習いたいと多いに刺激を受けて帰りました。 今後もどうぞ宜しくお願い致します。 仙台支部長 斉藤 彰世(66期) |
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※原文のまま掲載させていただきました。 また真澄会へのメッセージも掲載させていただきました。 |
斉藤 彰世さん(66期)からのご報告とメッセージ |
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平成29年10月2日 仙台支部長 斉藤 彰世(66期) 第66回仙台真澄会 平成29年9月16日(土)第66回仙台真澄会が仙台駅近くの和風レストラン「波奈」で開催されました。 出席者は相澤英子さん(43期)、松岡千代子さん(57期)、と斉藤彰世(66期)の3名。 当初例年通り6月に開催を予定していましたが、急に体調を壊された方がでて開催ができませんでした。 いつもは横浜にお住まいの相澤様がお彼岸の為仙台にお帰りになるとお聞きしたのでこの9月に開催しましたが、3名とちょっと淋しい会となりました。 松岡さんは活発に活動されています。8月に初めて体験されたクルージングは想像していた以上に楽しかったとスマホで撮った写真を沢山見せて下さいました。相澤さんは横浜でご兄弟やお友達との交流を楽しんでいらっしゃいます。 私は10月半ば鶴見で開催する主人の水彩画の個展で平沼高校時代の先輩や同級生、関東にいる友達と久しぶりに再会するのを楽しみにしているなどの話をしました。 出席するメンバーの数がこのところ急激に減り淋しいかぎりですが、細々でも来年以降も続けていきたいと思っています。 |
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真澄会会長&真澄会事務局の皆様 いつもお世話になっております。 こちら仙台はこの一週間で気温がぐーっと下がり秋本番と言った所です。 9月4日のメールでお知らせしましたように、9月16日(土)やっと 第66回仙台真澄会を開催する事ができました。 遅くなりましたが、その時撮った写真と報告書を添付致します。 3名だけのちょっと淋しい仙台真澄会となりましたが、昭和52年 (1977年)から続いているこの仙台真澄会を細々でも継続 していきたいと思っています。 私個人としては10月16日(月)から鶴見で開催予定の主人 の水彩画の個展で平沼の仲間の何名かと会えるようで今からわくわく しています。 仙台にやってきて丁度20年経ちました。30年以上会っていない友人もいるので、 何から話せばいいかと思っています。 先日岸惠子さんのトークショーを聞きに行きました。 多分日本で一番綺麗で活発な85歳だと思います。目指せ岸惠子さん と言いたい所ですが、土台が違うから無理よと言われそうです。 でもいつまでも好奇心が強く、新しい分野にもチャレンジされる精神は 見習いたいと多いに刺激を受けて帰りました。 今後もどうぞ宜しくお願い致します。 仙台支部長 斉藤 彰世(66期) |
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※原文のまま掲載させていただきました。 また真澄会へのメッセージも掲載させていただきました。 |
仙台支部長:斉藤彰世さん(66期)より 平成28年6月13日 第65回仙台真澄会 平成28年6月12日(日)第65回仙台真澄会が仙台駅近くの和風レストラン「波奈」で開催されました。 出席者は早坂祥子さん(48期)、茂庭房子さん(53期)、松岡千代子さん (57期)、と斉藤彰世(66期)の4名。 まず悲しいお知らせです。去る5月17日に根本卓子さん(49期)が逝去されました。仙台に引っ越して以来約20年近く、仙台真澄会の常連で年2回お会いしていました。博学で“きのこ”に関する本を上梓され、ご主人の転勤で過ごされたブラジル時代の本も楽しく読ませて頂きました。いつも楽しいお話で会を盛り上げて下さっていたので残念です。 出席するメンバーの数がだんだん少なくなり、年齢と伴に体のあちこちが気になりますが、昭和52年(1977年)から続いているこの会を細々ながら続けていきたいと思っています。来年もこの時期元気でお会いしましょうと約束し散会致しました。 早坂 祥子 :この所食欲も体力も落ちています。 茂庭 房子 :ヨガやマージャンもしています。 松岡 千代子 : 趣味にお孫さんのお世話等で忙しい日々です。 斉藤 彰世 :ボランティア活動に忙しい日々です。 |
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仙台支部長:斉藤彰世さん(66期)より 平成28年6月13日 第65回仙台真澄会 平成28年6月12日(日)第65回仙台真澄会が仙台駅近くの和風レストラン「波奈」で開催されました。 出席者は早坂祥子さん(48期)、茂庭房子さん(53期)、松岡千代子さん (57期)、と斉藤彰世(66期)の4名。 まず悲しいお知らせです。去る5月17日に根本卓子さん(49期)が逝去されました。仙台に引っ越して以来約20年近く、仙台真澄会の常連で年2回お会いしていました。博学で“きのこ”に関する本を上梓され、ご主人の転勤で過ごされたブラジル時代の本も楽しく読ませて頂きました。いつも楽しいお話で会を盛り上げて下さっていたので残念です。 出席するメンバーの数がだんだん少なくなり、年齢と伴に体のあちこちが気になりますが、昭和52年(1977年)から続いているこの会を細々ながら続けていきたいと思っています。来年もこの時期元気でお会いしましょうと約束し散会致しました。 早坂 祥子 :この所食欲も体力も落ちています。 茂庭 房子 :ヨガやマージャンもしています。 松岡 千代子 : 趣味にお孫さんのお世話等で忙しい日々です。 斉藤 彰世 :ボランティア活動に忙しい日々です。 |
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真澄会石川県支部 竹内(深野)優美子さん(77期)より 2016年5月29日(日)、今年も真澄会石川県支部の食事会を金沢ニューグランドホテルの最上階でしました。 手違いで予約が取れていませんでしたが、席が空いていたので良かったです。 お詫びにジュースをつけてくれました。 今野さんはアンサンブル金沢の仕事で忙しく、4人で集まりました。 去年手術で出られなかった今井さんも元気な姿で出席できました。 私の母より一つ上だそうです。 重田さんは再任用で働いているそうです。 海外旅行でバンクーバーに行った話を聞きました。 私は転勤して生徒指導が大変な話や、孫が生まれた話をしました。 今井さんのバレー部の顧問の話は、林さんや重田さんはわかっても私にはわかりませんでした。 股関節が悪くなったのはそのバレー部の顧問のせい?だそうです。 重田さんはバスケット部、林さんは書道部、私は茶道部とE.S.S.でした。 楽しく話をしながらフランス料理を食べました。 また来年みんな元気で会いたいと思います。 |
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2015年11月15日に行われた、関西支部同窓会の報告をいただきました。 | |||
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(誤)二十五期 → (正)四十七期 | |||
2015年11月15日に行われた、関西支部同窓会の報告をいただきました。 | |||
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(誤)二十五期 → (正)四十七期 | |||
2015年5月31日日曜日に恒例の真澄会石川支部食事会を金沢ニューグランドホテルで行いました。 天気も良く隣の尾山神社の緑もきれいでした。 今年はアンサンブル金沢の今野さんは忙しく、今井さんは手術のため出れませんでした。 3人でまたまた話が盛り上がりました。 お互いの子供の話や孫の話、海外旅行の話をしました。 食事もおいしく人生の話を聞けて良かったです。 東京から金沢まで新幹線ができたため、テレビでは金沢の映像がよく映っていて、横浜からもたくさんの人が観光に来ているようです。 まだ新幹線かがやきに乗ったことはありませんが、林さんはグランクラスに乗ってとてもよかったそうです。 勤務している学校に入ろうとしたら新幹線が見えたので車を止めて見ていたら生徒に笑われました。 来年もまたみんなで集まりたいです。 真澄会石川県支部 深野優美子 (77期) |
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平成27年度平沼高校同窓会千葉県支部総会と懇親会の報告 | |||
こちら | |||
をご覧ください。 | |||
與本(根本)淳子(77期) 2014年11月10日に、毎年恒例の西湘支部会が行われました。今年は総勢15人でした。 まず大雄山駅に集合し、大雄町のざる菊祭りへ。ざる菊とは、小ぶりの花がざるをふせたようにびっしりと咲いている菊で、会場はのどかな里山にあり、菊の香りと湧き水の響きに癒されました。この催しは今年で10年目だそうです。 そこからモダン湯治スタイルの温泉旅館おんりーゆーに移動して、地元の食材にこだわった、季節感のあるヘルシーなビュッフェランチをいただきました。この旅館は、桜井文子さん(64期)のご主人が経営されており、とても人気のあるスポットです。「ずっと元気!プロジェクト」に黒岩県知事が視察に見えたとのことです。 食事の後、個室に移り、小野剛さん(51期)のマジックを楽しみました。小野さんはボランティアで小学校などを回ったりされているそうです。ほのぼのとした雰囲気のマジックでした。私は5年ぶりの参加でしたが、素敵な方ばかりで平沼高校で良かったと改めて思いました。いつも企画、準備して下さる安藤和夫・澄子さんご夫妻(68期)に感謝します。 |
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與本(根本)淳子(77期) 2014年11月10日に、毎年恒例の西湘支部会が行われました。今年は総勢15人でした。 まず大雄山駅に集合し、大雄町のざる菊祭りへ。ざる菊とは、小ぶりの花がざるをふせたようにびっしりと咲いている菊で、会場はのどかな里山にあり、菊の香りと湧き水の響きに癒されました。この催しは今年で10年目だそうです。 そこからモダン湯治スタイルの温泉旅館おんりーゆーに移動して、地元の食材にこだわった、季節感のあるヘルシーなビュッフェランチをいただきました。この旅館は、桜井文子さん(64期)のご主人が経営されており、とても人気のあるスポットです。「ずっと元気!プロジェクト」に黒岩県知事が視察に見えたとのことです。 食事の後、個室に移り、小野剛さん(51期)のマジックを楽しみました。小野さんはボランティアで小学校などを回ったりされているそうです。ほのぼのとした雰囲気のマジックでした。私は5年ぶりの参加でしたが、素敵な方ばかりで平沼高校で良かったと改めて思いました。いつも企画、準備して下さる安藤和夫・澄子さんご夫妻(68期)に感謝します。 |
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2014年度、真澄会西湘支部会実施報告書。 51期 小野 剛
“居酒屋で飲食後クラシック音楽を聴く”という奇妙な組み合わせの支部会は、
11月24日(日)小田原市内で開催(会員7名、本部から三田様がご出席)
まずは駅近くの居酒屋「金時」で昼食会、中高年向きの多品種少量の料理と少々
のお酒を入れて大いに盛り上がり、皆さんほぼ完食、あっという間の2時間でした。
その後、お濠端通りを歩いて音楽会場の市民会館に移動。今回は小田フィル(小
田原フィルハーモニー交響楽団)の第108回定期演奏会で、81期生の神馬純江さんが
ヴィオラ奏者として出演(ご主人もチェロ奏者として出演)されており、彼女への
応援を込めて全員で出席、オーケストラのダイナミックな音と繊細な調べに、アル
コールの酔も混じり、心地よいまま午後4時終了、楽しく愉快な親睦会となりました。
平成25年度 平沼高校同窓会千葉県支部総会と懇親会
報告:鈴木
美佐男<50期>
平成25年7月7日 真澄会千葉県支部の総会を開催しました。
今回は、稲毛にある愛新覚羅溥傑仮寓の「所縁の家」を見学したあと富士山信仰の「浅間神社」
に参拝し、すぐ近くの中華料理店「帆船ジャンク」にて総会と懇親会を開催というスケジュ-ル。
このところの猛暑のため御一人が駅到着後に体調不良で帰宅されたが、総勢18名の参加。
JR稲毛駅11:50と京成稲毛駅12:00の二手に分かれて集合、合流して徒歩10分、国道14号
沿いの浅間神社大鳥居脇の「所縁の家」に到着。
総武鉄道(千葉-両国 開通、明治27年)「稲毛停車場」が明治33年に開設し、その後、大正10年
に京成電車・千葉-押上間が開通し「稲毛駅」が設けられ、地理的簡便さもあって、稲毛海岸は
東京の保養地の役割を果たした。
明治21年、浅間神社の南、 海岸に近い松林に海気館(保養施設)ができるとともに、千葉県で
初めて海水浴場が開かれ、避暑地として多くの文人墨客が 訪れた。そして海岸線を中心に、
別荘、別邸が建てられた。「ゆかりの家・いなげ」は、このような保養施設として建てられた
ものの一つで、東京市神田区・鈴木家(水飴商「笹屋」)が購入し、 その後、中国清朝のラスト
エンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑夫妻が、成婚間もない昭和12年に半年ほど居を構えた、
風情ある建物である。1129.13平方米の敷地に、木造平屋建瓦葺172.42平方米の母屋と木造
平屋建て18.71平方米の離れがある。
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見学約30分、全員で集合写真を撮り、隣の「浅間神社」に参拝する。
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富士山を神と仰ぎ奉る「富士山信仰」に始まっている富士信仰の古社である。まさに、富士山が
世界遺産に登録されたタイミングでの参拝となりました。
主神は木花咲耶姫命で安産子育ての神、配神は国土平安・家内安全・産業発展の神 瓊瓊杵尊と
道開きの神で交通安全・厄難解除の神様 猿田彦命である。 境内の松林が美しい。
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打ち解けて歓談は弾み、懐かしい先生方のお話で盛り上がり、また思いもよらぬ様々な繋がりが
明らかになるなど、皆さん驚きと感心と感激で会も盛り上がり、改めて第一高女と平沼高校の
縦と横の繋がる不思議な面白さを大いに楽しみました。盛り上がる中、16;00にお開き。
お土産に「清酒・真澄」と「DA
CAPO」のCDを頂いて帰路についた。
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昔の関内の景色を偲んだ。
来年は4月か5月に開催予定。千葉県にお住まいの卒業生の方、ぜひご参加ください。
第9回宮城真澄会総会
仙台支部長 斉藤 彰世(66期)
平成25年6月2日(日)第9回宮城真澄会総会が仙台駅近くのホテルメトロポリタン仙台内の
和風レストラン〝はや瀬“で開催されました。今回元真澄会会長の野村脩さん(50期)と
同じく50期の市川務さん(新潟支部の事務局担当)のお二人が遠路ゲストとして参加して
下さってとても嬉しかったです。
宮城真澄会の参加者は42期から66期の私まで6名。市川さんは宮城真澄会のメンバーの
茂庭房子さん(53期)の水泳部の先輩にあたります。茂庭さんとは57年ぶりの再会で茂庭さん
いわく“お声が全然変わっていらっしゃらない”と高校時代を思い出され懐かしい話で
盛り上がっていました。
「新潟支部も集まりは決していいとは言えないが、少なくなっても最後まで頑張って会を
存続させる」という市川さんのお言葉に私もとても励まされ、来年以降も出来るだけ会を
存続させたいと思いました。
大震災から2年と3ヶ月が経ちました。海岸部はやっと瓦礫処理が終わった段階で、
一部復興住宅の建築もはじまりましたが、まだまだと言った所です。こうした中元気に
メンバーが集まれる事は本当に幸せです。
野村脩さん、市川務さんのお蔭でとても楽しい時間を過ごす事が出来ました。
諸先輩の暖かいご支援に改めて感謝致します。
石川支部報告 支部長:竹内優美子(77期) | |||
今年も定例の真澄会石川支部の食事会を金沢 |
関西真澄会 同窓会報告 報告:近藤優美子(60期) |
日 時:平成24年11月18日(日) |
いずみ支部総会 2012年10月28日(日)開催しました。 通信48期 岡本康宏さんが支部長に決まりました。 |
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いずみ支部総会 2012年10月28日(日)開催しました。 通信48期 岡本康宏さんが支部長に決まりました。 |
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50期史跡巡り同好会の「小田原石垣山一夜城跡」のハイキング報告 (写真・報告:地葉副会長)
11月21日(月)に行われた50期史跡巡り同好会の「小田原石垣山一夜城跡」のハイキングに参加しました。
JR東海道線早川駅に27名が集合し、とりあえず、タクシーで一夜城跡公園まで行き園内を散策した後、二班に分かれて
タクシー組は神奈川県温泉地学研究所へ、ハイキング組は城跡から徒歩にて入生田を廻るコースを小田原風祭まで
ハイキングしました。
一夜城というのは秀吉が小田原攻めにあたり、小田原城本城を見下ろす場所に築城した城で松林の中で築城工事を進め、
完成段階で前面の松、杉の木立を切り払ったため、小田原城からは一夜にして巨大な城が出現したように見えて北条方が
大いに驚いたことから一夜城の名が起こった、とのことです。実は80日余りの日数が掛かった本格的な城郭でした。
このハイキングで、この一夜城が東日本では珍しい石垣で囲まれた本格的な恒常的な城であること、とそれまでの農民兵から
兵農分離した常備軍となって長期戦に絶えられるようになったと言うことを学びました。
![]() 一夜城公園の案内板 |
![]() 一夜城の復元図 | ||
![]() 小田原城本丸跡 |
![]() 一夜城の本格的な石垣 | ||
![]() 一夜城二の丸跡で記念撮影 |
![]() 鈴広バイキングレストランえれんなごっそ |
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![]() 一夜城本丸からの小田原城 |
![]() 一夜城公園の案内板 | |||
![]() 一夜城の復元図 | |||
![]() 小田原城本丸跡 |
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![]() 一夜城の本格的な石垣 | |||
![]() 一夜城二の丸跡で記念撮影 | |||
![]() 鈴広バイキングレストランえれんなごっそ |
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![]() 一夜城本丸からの小田原城 |
埼玉支部報告 | |||
2011年11月20日、総会を開催し事務局役員に 加藤真理さん(67期)が加わりました。 その後、ボランティアの方の案内で新座市内の 野火止用水と平林寺を見学し、 睡足軒(茶室)にてコンサートを観賞しました。 |
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「被災地へ、横浜市からのバキュームカー支援」に感激、仙台支部会員より、
広報担当:H・M
仙台支部会員渡辺省二さん(64期)よりの寄稿。
3月16日、混乱の避難所で「横浜という文字」「早急の重要な支援」に
感激された様子が報告されました。横浜市に問い合わせしました所(経緯参照)
すばやい対応がなされていて驚きました。
救 援 車
渡辺省三(64期)職業研究者
「横浜から来たの?」と私は聞いた。
「はい」と答えた青年の姿と声はすがすがしい。
「よく 来れたね」
「。。。。。。。10時間かかりました」
「えらい! おじさんも横浜なんだよ」
「そうですか。。。。。(ほめてもらうと)うれしいです」
青年はにっこり笑った。
3月16日、まだ余震が続いて仙台市立高砂小学校の校舎3階に避難していた私は、
眼下の人々の動きをながめている時だった。バキュームカーの車体に「浜」の字をみつけ、
もしやと思って、早速おりていって車に近づくと横浜市環境部XXと書いてあり、
プレートは横浜800でまちがいなく横浜の車である。
すごい、よくぞ来た。聞けば、道路は分断され、ところどころ東北自動車道を通り、
ところどころ4号線を通って来たという。市の職員2人だった。
2ヶ月経った今、思い出しても胸があつくなる。横浜の奴らはいい奴ばかりだ。
仮設トイレの設置は済んでいたが、ガソリンの補給がままならない時に、後処理が
問題だったのだ。バキュームカーの救援とはなんと気の利いたことをするのだろうか。
しかも大震災後わずか5日目のことである。
横浜開港に限らず、水道、新聞、パン、ビールはいずれも横浜から始まった。
前例のないことでも果敢に遂行してしまう浜っこ気質はいまだ隆盛なりである。
経緯(横浜市資源循環局)
東日本大震災の後、仙台市から横浜市へ様々な内容の支援の要請があった。 その中で資源循環局はまず災害発生後すぐ必要になる仮設トイレの後処理(し尿収集)ためのバキュームカー(小型2台、大型1台)の派遣を決めた。 3月13日夜に横浜を出発し、14日から活動開始、期間は3月13日から4月30日まで。避難場所等の仮設トイレの後処理にあたった。 仙台への「し尿収集の支援」は横浜市と新潟市の2市であった。 資源循環局はその他にごみ収集運搬隊も派遣している。 |
千葉支部総会・懇親会に参加して (写真・報告)広報担当副会長:松永弘子 | |
過日、千葉支部支部長柴田勝(60期)さんから総会開催にあたり広報として取材して |
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東日本大震災
ドイツ公共ラジオ放送記者同行記(2011年4月12日&13日)
背景
4月11日(月)午後ボランティアグループの仲間の一人より突然電話をうけ、
“東京からドイツ人のラジオ記者がやってくるので同行をお願いできないか”という依頼。
詳しい内容もわからずとりあえず12日と13日は空いているので承諾。
避難所等の案内と勝手に思っていたが、一緒に東京からいらっしゃるIさんのメールを
夜あけると“通訳”という言葉がとびこみびっくり。とても私の力では本格的な通訳は
出来ないがとりあえず詳しい内容はわからないので12日(火)にお会いし話しを伺う事にする。
4月12日(火)
午後ドイツ公共ラジオ放送ARD、東アジア支局のP記者(男性)とIさん(女性)に
仙台市内で会う時間を確認。P記者は日本に3年半在住。オフィスは東京の田園調布。
ARDは日本でいうとNHKのようなもので、日本では最近ラジオを聞いている人数は減っているが、
ドイツでは職場等で結構視聴している方が多いため重要なマスメディアのひとつ。
Iさんは東北大学卒業後、現在東京千代田区でForeign Press Center勤務。
P記者は東京でレンターカーを手配し2人は早朝東京を出発し、彼の運転で仙台に昼過ぎ到着。
12日は打ち合わせだけかと思ったら早速取材をしたいという事で2時過ぎに白色のピカピカの
PRIUSにのり最初若林区役所を訪問。以後P記者がマイクとレコダーを用意しインタビュー、
それをIさんが総て通訳。私は時々写真をとったり、邪魔にならないようにそばでインタビュー
に耳を傾ける。こういう報告を作る予定はなかったので名前やタイトル等特に記録はしませんでした。
メモのようなものとして読んでください。
若林区防災対策課
まず防災対策課の責任者にインタビュー。若林区の地図をみながら現在の状況を説明。震災当時は
20,000人程の避難者がいたが現在は1,200人位に減少。多くは自宅に戻ったり、アパートを
借りたり、親戚の家に身をよせている。
現在残っている避難者の多くは津波で家を失ったり、浸水の甚大な被害を受けた方が大半なので
避難生活が長引くことが予想される。仮設住宅が緊急に欲しいが着工がとても遅れている。
その理由は被害が広範囲にわたり甚大。県が責任をもっているが、なかなか市町村まで詳細が
届かない。若林区の詳しい地図を頂く。
30分程滞在後津波で襲われた荒浜地区を視察。海水を大量にあびたたんぼの上にまだ瓦礫や
形をとどめない車等が散乱。半壊した家屋も所所に見える。ここで一番の問題は塩害の被害。
すべての土を入れ替えるのには3年から5年かかるとか。3週間程前フランスの農林大臣が来て
塩害除去のアドバイスをすると言っていたがどうなったのか?
クボタ農耕機器
クボタ農耕機器の看板のある所で農耕機械を修理している職人の一人にインタビュー。
今日営業を再開したばかり。再開にあたっては同じ会社の仲間が助けてくれた。顧客の中には
いつ農業が再開できるかに不安をもっている方もいる。
六卿中学校の避難所
午後5時過ぎ避難所になっている六卿中学校の体育館を訪問。調度夕食時で炊き出しの食事の
いいにおいがしてくる。
リーダー
避難所の入り口で避難者のインタビューの許可を受けるためリーダーの一人に話しを聞く。
キリンビール社員の中年の男性はこれからちょっと出かける用事があるといいながら20分程
インタビューに応じてくれる。
まずこの避難所は同じ町内会の方が多いので、顔見知りが多い。役所等公的機関に頼るのでは
なく被災者の中で自主運営をやっている。今日は広島からお好みやきの支援、新潟から餅つきや
子供や若い方に揚げ物などの提供。明日はアメリカ軍の吹奏楽の演奏やピアノの演奏、ダンスもある。
先日は楽天の星野監督や田淵ヘッドコーチも慰問に訪れた。山形県寒河江からも送迎付き温泉入浴の
提供もあり、今日は50名が参加。
退屈になりがちな避難所での生活に変化をもたせようといろいろな活動がなされている。
昼間は仕事にでている人もいたが、夕方になりぞくぞくと避難所にもどる人が増えてきた。
避難所の中に入れてもらい中年の女性2人に話を聞く。二人共荒浜またはその近くに住んでいた。
一人は昨年新築したばかりなのに甚大な被害を受け、2人の孫も含め8名で住んでいた家族が
今はばらばらなのが悲しい。また戻りたいがかなりお金が必要となる。もう一人の女性はやはり
家が津波で被害。御主人は産まれ育った元の土地に戻りたいと強く希望しているが、本人は戻り
たい気持ともう戻りたくない気持が半々で揺れている。
ボランティアを含めた民間の支援に関しては本当に有難いと思っているが、政府の対応は遅い。
やはりこれからの生活の事を考えると金銭的な支援が緊急に必要。P記者は義援金について質問。
まだ受け取っていない事にたいし後でIさんと私に質問。今義援金配分委員会が設置されその額や
方法を検討している新聞情報を説明。
今日の取材はここ迄で車で我が家まで送ってもらう。
4月13日(水)
9時半過ぎにP記者に我が家近くでピックアップしてもらい利府のジャスコに移動。そこでIさん
と落ち合い石巻を目指す。
石巻の映像は度々マスメディアにも取り上げられていたので、ある程度は想像していたが港が近づく
につれて被害状況がひどくなり目を覆う。昨年5月主人とたまたま版画展を見る為に訪れた同じ街が
全く変わりはてている。途中「仮埋葬」をするために土のうが作られている場所近くを通るとP記者
は興味深々。ご存知のようにあまりにも犠牲になった方が多く火葬が間に合わないので、とりあえず
土葬にし後日火葬をする為に急遽作られた場所。白いテントが痛々しい。同じ日本人としてはちょっと
見るのが辛いが彼は近くに車をとめ写真のシャッターをきってゆく。私はそばで違和感を覚える。
港近くの被害が甚大な地域に入るとほこりも多くなり、ヘドロを含んだ汚水の為あたりに異様な悪臭を
はなちマスク無しではいられない。道路の左手の方に倒壊したり半倒壊の家屋が沢山見えてくる。
住宅地の道路にはまだ汚泥が沢山残りぬかるみも多いがP記者はおかまいなしにどんどん車を住宅街に
進ませる。瓦礫もあるのでパンクするのではとこちらはひやひや。ピカピカのPRIUSはたちまち
埃まみれになる。
NTT社員
途中ケーブルを点検しているNTT社員2人にインタビュー。東京から来ているが改めて実際の目で
見その惨状の酷さに驚いている。住民の方が家に戻った時電話が使えるようにメインのケーブルを点検中。
出来たら3ヶ月程をめどにメインのケーブルを修理したい。
Kさん
家の片づけをしている一人の男性にインタビュー。今回の取材で一番印象深かった方。頭には奥様の遺品の
手編みの帽子を被った彼は3月末で40年近く勤務した貨物船の仕事を退職。今は近くの借りたアパートから
通い親戚と一緒に後かたづけをしている。公的な援助をあてにせず全部自分でやるという独立独歩の姿勢。
震災当時彼は仕事場にいたが、奥さんは家で亡くなった。一階は全部津波で海水が入ったが柱はしっかり
残ったので住む予定。奥様を亡くし、家も大被害を受けたこんな悲惨な状況でも何もうらまず、たんたんと
処理を行っている。帰りぎわには「どうぞ気をつけて下さい」とこちらを気使ってくれてかえって恐縮した。
石巻公民館
次に訪れたのは被災者が身を寄せている石巻公民館。先日TVで石原軍団が派手に炊き出しをやった映像を
ご覧になった方もいると思いますが、すぐその横。まず避難所の責任者に話を聞く。
60はとっくに超えていると思われる彼はもともとはこの公民館の責任者。子供から大人までの教育や
この公民館の管理担当。震災以後今迄とは全く違った避難所の責任者の仕事をしている。震災直後は
“とりあえず命が助かって良かった。一日一食だけでもたべられればいい”と思っていたが、日がたつに
つれ一人、一人必要としているものが違ってきている。疲れもでる頃なのでこれからが大変。
子供
避難所の中に入らせて頂いて、小学校と中学校の3,4名子供と一人のお母さんにインタビュー。
私は専ら写真撮影に専念。14歳の中学生(女子)はここにボランティアに来ている。家は一階まで
水が入ったが、家族は皆無事。でも可愛がっていたチワワ(3才)を自分の判断ミスでなくした事を
後悔している。“将来は何になりたい?”と私が尋ねたら“両親が家にこれから沢山お金を使うので、
高校を卒業したらすぐ公務員になりしっかり稼ぎたい。”子供心にも将来の経済苦を察しているようで
心が痛むが、この不条理を乗り越えて強い大人になってねと心で祈る。
小学校の男の子(4年生くらい)はつとめて明るくしているのか、ピースサインで写真の応じてくれる。
石巻市役所
さくら野の中に移転した石巻市役所を目指す。途中繁華街を通るが両脇は瓦礫と建物中から出された
汚泥の山。でもこれでもかなり撤去されたのだろう。洋服店、スポーツショップ、飲み屋のサイン、
3月11日2時46分までは多くの人で賑わい活気をていしていた場所が今は作業服を着た作業員や
長靴をはいたボランティアが目につく。
仮埋葬受付
まず2階の仮埋葬受付で取材を申し込む。担当者がたんたんと説明していたが私はとてもそばで
話を聞けないので写真を撮っただけ。横で書類を記入している家族がいる。
環境課
今の復旧の状況を環境課の担当者に質問。やっと道路の瓦礫を動かし道を通れるようにした段階。
河北新聞の瓦礫の量、宮城県だけで23年分という記事を見せながらP記者に説明。
災害対策課も訪れたかったが、3階は社会福祉協議会が援助する「特別緊急融資」の申し込みで人が
溢れている。市役所の取材はここで終了。
車に戻った時点で午後4時半頃。今日の取材はこれで終わり仙台に戻るのかと思ったら、P記者は
南三陸町を訪れたいけどいいですかと同意を求める。折角東京から遠路来て取材に来ているのだから、
どうぞどうぞ行って下さいと同意。
南三陸町
一般道を通り南三陸町をめざしたが、途中行き止まり。知り合いのIさんの御主人が勤務されている
石巻の日赤病院が左手に見える。ここは石巻の病院の拠点とし何度もTV等で紹介された場所。
Uターンし三陸道に戻り南三陸町をひたすら目指す。車中私は石巻と南三陸町の距離感があまり
はっきりしていなかったのでこれは遅くなるなとちょっと不安を覚える。三陸道をおりた時は
5時半過ぎになっていた。一般道におりると対向車は自衛隊の“救援物資”とかかれた駐屯地に
戻る緑色の大型車ばかり。ここで白のPRIUSはういている。
10分程東北ではどこにでも見られるような、のどかな田舎の風景を走ると目の前に別世界が
突然現われる。なぎ倒された材木や家屋の残骸。車をとめて3名各々写真を撮るがこのあたりは
まだあまり手がついてない様子。道路の横に泥にまみれたアルバムがあり可愛い少女の顔が写っている。
彼女は無事だったのか?ここはまだまだ海には遠いはず。でもどうしてこんな所まで津波がきたのか
信じられない。一部杉林が固まりで残っている部分もあれば、半分位なくなっている部分もある。
ちょっと目を上にむけると一見被害のなさそうな一軒屋がいくつか残っている。その落差の激しいこと。
5,6分過ごした後また車を進めると、TVや新聞で何度もとりあがられた防災センターの茶色の
鉄骨が右手に見えてきた。その前に緑の車と中年の女性、ブルーの作業着を着た男性が視界に入る。
車をとめP記者がその男性にインタビュー。
この中年の男性はキャンピングカーで寝泊りしながら、ボランティアをしている。4時で仕事が
終わった後は瓦礫だけでなく人が生きた証として、人が作ったものを写真撮影している。
この防災センターで最後まで避難のアナウンサーをした未希さんの話はよく知られているが、
先程いた夫人はこの防災センター長の奥様。報道では未希さんが最後までアナウンスをしていた
事になっていたが実際はこのセンター長が最後の一声を行った。
彼は職員を誘導し防災センターの屋上に上がった。屋上でしゃがんでいたが津波に襲われ、
報道されているように鉄塔につかまっていた佐藤町長以下4名程のみ助かった。
最近この御主人の車が見つかった。今日は亡くなった御主人の誕生日だったので、車のそばに
御主人の好きだったお酒とおつまみ、生涯で一度だけもらったラブレターをおいてきたという話。
今回の震災では数々のエピソードがあり今後も語りつがれる話が沢山でてくるかもしれないが、
この話もそのひとつになるだろう。
防災センターを後にどんどん海の近くに車を進め海岸あたりに車を止める。目の前にこれも新聞や
雑誌で目にした転覆した黒い貨物列車の無残な姿。線路はどこにいったのか近くに跡形もない。
ここに鉄道が通っていた事はとうてい信じられない。
あたりはだんだん薄暗くなってくる。この調子だと帰宅はかなり遅くなると思い、P記者とIさんが
写真を撮影している合間をぬって主人に電話をかけ遅くなるけど心配しないように伝える。
ここ南三陸町の海岸線で見た景色は今迄で最も衝撃的だった。一部の鉄筋のアパートを除いて
ほとんど総ての建物が破壊され、わびしく打ち捨てられている。あたりもだんだん暗くなり
今迄少し見えていた車のライトもひとつ、ひとつ消えていく。荒涼、寂寞という表現を何度か
目にした事があるがこれはまさにそんな風景。Iさんと2人で”言葉が出ない。表現する言葉がない
“と短く会話をかわすだけ。それでも訪れる機会のない方に少しでも伝えたいので何枚か写真を撮る。
すっかり明かりが消えた中左手奥のちょっと高くなった所に多くの方が避難しTVで何度も見た
ベイサイドアリーナの光が見える。わずかではあるが高台に残っている家もある。
海辺をわたる風の音以外聞こえない静寂に寒気を感じる。
総ての取材が終わり帰宅の車にのったのは7時過ぎ。三陸道をひたすら仙台にむけ戻り、
松島・塩釜インターでIさんを下ろす。2日間びっちり通訳をされたIさんはさぞお疲れになった事と
思います。帰宅したのは9時頃。アパートの前でP記者から同行したお礼を鄭重に言われたけど、
たいしたお役にたてずなんだか心苦しい。
明日(14日)は朝レポートをまとめ東京へ戻る予定とか。彼のレポートを聴くドイツ人が
日本の現状を少しでも知ってくれたら嬉しい。家に戻りひと段落した所でIさんにメールを送る。
後日頂いたメールによると14日(木)もP記者と同行し福島での取材に付き合い東京に戻られたそうだ。
本当にお疲れ様でした!
後記
一つの電話から私の人生で最初で多分最後になる貴重な体験をさせて頂きました。事件や事故があった場合
“現場に行け”という言葉があります。どんな最新鋭の機器を使った映像や写真を見てもやはり自分の
目の前にひろがる光景にはかないません。
こういう機会を与えて下さった方への感謝の気持も含め記録として残しておきたいと思いこのメモを
作りました。被災地に行く機会のない方にとってこの拙いメモが少しでも震災の様子を理解する手助けに
なると幸いです。私も日常生活におわれ被災された方々の事をだんだん自分にものとして思えない時が
やってくると思います。その時はまたこのメモを読み返し、目にやきついた光景を絶対に忘れずに伝えて
いきたいと思っています。
いずみ支部発足 いずみ支部代表 中村睦夫(通27期) |
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今回、部会「いずみ会」が支部として発足することになり、 |
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いずみ支部発足 いずみ支部代表 中村睦夫(通27期) |
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今回、部会「いずみ会」が支部として発足することになり、 |
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広報委員会より
会報52号発行にあたり、関西支部からの寄稿文を「支部だより欄」ということで、
編集段階で、一方的に大幅削除ならびに修正をしてしまいました。
せっかくお寄せいただいた「遷都1300年で賑わっている奈良の様子」と
関西支部の方々の思いをお伝え出来ず、ご迷惑をおかけしました。
ここに全文をご紹介いたします。
紅葉の秋、会員の皆様、奈良に立ち寄ってみませんか。
遷都1300年祭 会期 12月31日(平城宮跡は11月7日)まで。
「奈良のいま」 関西支部 末廣春枝
奈良は今年、平城遷都1300年の年に当たり遷都祭が盛大に行われており、
メイン会場である平城宮跡は毎日大勢の方で賑わっています。また各社寺で、
滅多に見られぬ秘宝・秘仏の特別開帳も行われています。
平城京は、元明天皇の御世、唐長安の都をモデルに、その四分の一の広さで
造られ、奈良時代の74年間、日本の首都として栄えました。
都の中は碁盤の目のように整然とした道路が敷かれ、メイン道路は朱雀大路、
幅74メートル、長さ3.8キロと非常に大きなものでした。
当時国の重要な儀式が行われた大極殿の復原は、9年の歳月をかけて、
遷都1300年の今年4月に完成しました。
童子に鹿の角を生やすとは何事かと、賛否両論の議論が沸騰し全国に一躍
知れ渡ったマスコットの「せんとくん」は、今ではすっかり定着し、人気者に
なって活躍しています。
平城宮跡は、都が遷ってから1000年余り水田のまま、この為埋もれていた
建物跡などの保存状態がよく、世界遺産に指定されています。
またここには発掘品の展示をしている資料館や復元された庭園などがあり、
そこで私は月に数度、ボランティアで来場者に説明をしており、色々な方との
出会いを楽しんでいます。
遷都祭開催中の今、是非皆様奈良へお出掛け下さい。
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新潟支部総会報告 | (写真・報告:事務局・市川 務) | |
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2010年6月13日(日)真澄会新潟支部総会を 開催しました。当日は次の方が出席され 楽しいひと時を過ごすことができました。 本間リオ(42期)さん、市川務さん(50期)、 池田三穂さん(62期)、小出和子さん(65期)、 柳沢せつ子さん(通15期) 来年は新潟支部創設10周年になり、記念の 思い出になる支部総会を企画します。 よろしくお願いいたします。 |
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新潟支部総会報告 | (写真・報告:事務局・市川 務) | |
2010年6月13日(日)真澄会新潟支部総会を 開催しました。当日は次の方が出席され 楽しいひと時を過ごすことができました。 本間リオ(42期)さん、市川務さん(50期)、 池田三穂さん(62期)、小出和子さん(65期)、 柳沢せつ子さん(通15期) 来年は新潟支部創設10周年になり、記念の 思い出になる支部総会を企画します。 よろしくお願いいたします。 |
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第51回いずみ会総会・懇親会 (写真・報告:松本道男(通1期))
4月25日(日)横浜クルーズクルーズ27階にて荒蒔校長、山田副校長、大久保真澄会副会長をお迎えし「いずみ会の解散」を主題とする第51回いずみ会総会が開催されました。当日の会員出席者は31名でした。
来賓各位のご挨拶をいただいた後、昭和35年に15名で設立したいずみ会が平成20年3月の通信制閉課程で母校に通信制課程がなくなったという会員の方々の意識変化により、遂に「いずみ会の解散」が会長より提案され、他の議案とともに全て満場一致で承認されました。
総会終了後、来賓に島巡前校長、並河・松村元校長、黒澤元教諭、林真澄会副会長をお迎えし、同じ場所で山田副校長の乾杯の音頭で懇親会が始まりました。
今回は最終回ということで、初めて参加された会員の方が11名おられました。
ここで改めて荒蒔校長、山田副校長、大久保副会長を始め、ご来賓の皆様から夫々心暖まるお言葉を頂きました。
続いて、50年の長きに亘りいずみ会を育て運営してきたということで、感謝状と記念品をいただきました。
叉、共に永年務められたいずみ会役員にも表彰が行われました。
その後、参加された会員の殆どの方々から通信制で学んだ思い出や、いずみ会への思いなどが熱く語られました。
最後に、全員で校歌を斉唱、来賓、会員一同が記念写真に納まりました。
その後で更に名残を惜しみ、いずみ会幹事の山内・杉江コンビによりステップも軽やかにダンスが披露され、更に、川上副会長による「惜別の歌」で、最後の最後を飾るに相応しく懇親会が閉幕となりました。
いずみ会は50年の歴史に幕を閉じましたが、通信制卒業生の会は形を変えて真澄会の一員として活動して参りますので、今後とも宜しくお願い致します。
09年 西湘支部会 報告 |
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09年 西湘支部会 報告 |
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夏だ! ビーチハンドだ!! 第1回横浜大会では見事優勝 |
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伊藤真喜子(73期) | |
昨年は「中東の笛」「宮崎大輔」のおかげでマスコミへの露出度が増え、にわかにメジャー |
石川支部報告 |
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今年も毎年恒例の真澄会石川県支部同窓会の食事会を平成20年6月22日(日)、 |
2008年3月21日、お彼岸とはいえまだ肌寒い小雨が残る中、 真澄会会長はじめ50期から67期までの同窓生8人で保土ヶ谷にある 「遍照寺」を訪ねた。ここには母校設立時、岡野新田の一部3,000坪を 寄贈してくれた大恩人岡野欣之助氏が眠るお墓がある。 まだ 人の訪れた気配のない墓前に花を供え、線香の煙の立ち上る中、 次々手を合わせ108年振りに感謝の気持ちを伝えた。 歴史資料委員会 |
恩人・岡野欣之助氏と「平沼高校」 真澄会会長 山口精一 |
(文字の拡大は、文章の中で右クリック→ズーム) |
2008年3月21日、お彼岸とはいえまだ肌寒い小雨が残る中、 真澄会会長はじめ50期から67期までの同窓生8人で保土ヶ谷にある 「遍照寺」を訪ねた。ここには母校設立時、岡野新田の一部3,000坪を 寄贈してくれた大恩人岡野欣之助氏が眠るお墓がある。 まだ 人の訪れた気配のない墓前に花を供え、線香の煙の立ち上る中、 次々手を合わせ108年振りに感謝の気持ちを伝えた。 歴史資料委員会 |
恩人・岡野欣之助氏と「平沼高校」 真澄会会長 山口精一 |
(文字の拡大は、文章の中で右クリック→ズーム) |
西湘支部会の報告 (19年11月26日 箱根観音福寿院にて) |
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箱根観音福寿院の住職は、当支部会員 松根信子さん(58期)のご亭主でして、 本堂の借用と法話の聴講依頼を快く承諾してくださいました。 総会は、真澄会本部から中村副会長と野村顧問を迎えて総勢14名、寺の本堂に 歌声を響かせて校歌斉唱から始まりました。参詣の方はさぞ驚かれたかも知れません。 支部長・本部副会長、顧問の挨拶、出席者自己紹介と進み、母校への思いや近況などが 語り合われ触れ合いの輪が広がりました。重要議題であった支部長と事務局長の改選は、 この席では決まらず持ち越しとなりました。 昼食は持ち込みの懐石弁当に当寺院特製の豚汁・漬物・薬草茶等で美味しく頂き、 そのあと、日本では非常に珍しい媽祖菩薩像や曼荼羅風ご灯明(ともに台湾で信仰厚い) などを拝観しました。 最後に住職の講和を一時間拝聴しました。堅苦しい話は一切なく、11月22日の語呂合わせで 「いい夫婦」をテーマに、出席者に自分たち夫婦を漢字一文字で表現させ、その文字と住職自らの 経験を素材にして、含蓄ある示唆に富んだお話を実に楽しい語り口で聴かせてくれました。 中年過ぎてから背広を法衣に着替え、辛酸を舐めながら僧侶の道に励まれた苦労人である 住職の人柄にひかれて、この寺を訪れる人が少なくないらしいのも納得できます。 悩み事を抱えても、それをすべて吐き出し、気持ちを切り替えて新たな生活に立ち向かう勇気を 持ち帰る場所がお寺だと住職はおっしゃいます。何か肩の荷がとても軽くなったような有難いお話で、 出席者の多くが頷きながら聴き入っていました。 |
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西湘支部会の報告 (19年11月26日 箱根観音福寿院にて) |
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箱根観音福寿院の住職は、当支部会員 松根信子さん(58期)のご亭主でして、 本堂の借用と法話の聴講依頼を快く承諾してくださいました。 総会は、真澄会本部から中村副会長と野村顧問を迎えて総勢14名、寺の本堂に 歌声を響かせて校歌斉唱から始まりました。参詣の方はさぞ驚かれたかも知れません。 支部長・本部副会長、顧問の挨拶、出席者自己紹介と進み、母校への思いや近況などが 語り合われ触れ合いの輪が広がりました。重要議題であった支部長と事務局長の改選は、 この席では決まらず持ち越しとなりました。 昼食は持ち込みの懐石弁当に当寺院特製の豚汁・漬物・薬草茶等で美味しく頂き、 そのあと、日本では非常に珍しい媽祖菩薩像や曼荼羅風ご灯明(ともに台湾で信仰厚い) などを拝観しました。 最後に住職の講和を一時間拝聴しました。堅苦しい話は一切なく、11月22日の語呂合わせで 「いい夫婦」をテーマに、出席者に自分たち夫婦を漢字一文字で表現させ、その文字と住職自らの 経験を素材にして、含蓄ある示唆に富んだお話を実に楽しい語り口で聴かせてくれました。 中年過ぎてから背広を法衣に着替え、辛酸を舐めながら僧侶の道に励まれた苦労人である 住職の人柄にひかれて、この寺を訪れる人が少なくないらしいのも納得できます。 悩み事を抱えても、それをすべて吐き出し、気持ちを切り替えて新たな生活に立ち向かう勇気を 持ち帰る場所がお寺だと住職はおっしゃいます。何か肩の荷がとても軽くなったような有難いお話で、 出席者の多くが頷きながら聴き入っていました。 |
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埼玉支部 秋の見学会 (報告)
「田舎教師」の歩いた道・文学散歩、藍染工場、堀越館跡を訪ねて
10月1日(日)、22人が参加して、堀越登志さん(39期)のご自宅もある羽生市内の伝堀越館跡を見学させていただきました。3,000坪の森の中の館は、羽生市指定文化財で、350年前から居住していたとか。昔横浜、今埼玉の私たちは、春の永田家に続き、埼玉の名家の主(あるじ)のご招待に、潜在するよそ者意識がふっとんでしまった感じです。
羽生は田山花袋の「田舎教師」の舞台で、美しい羽生の自然、土地や草花がふんだんに描かれ、ゆかりのお寺や墓地などを見学でき、さらにこの日は欠席されましたが、51期の水谷俊夫さんのお祖父さまが本名で小説に登場してくることも知りました。資料館の別室で参加者の自己紹介があり、平沼を軸に話題は広がり、私たちは知らず、知らずに、縦糸、横糸を卒業後も紡ぎ続けていることに気づきました。支部長中村栄子さん(58期)、務局(?)の近藤倬司さん(50期)のお二人には、同窓会の企画からバスの手配、当日の運営など大変お世話になりました。
埼玉支部の母校訪問
11月26日(土)37期から67期に亘る卒業生の方たち9名が母校を訪問されました。今年の埼玉支部行事として企画されたもので、約1時間半をかけて歴史資料展示室と母校校舎内を見学された後、真澄会室で会他数名の理事達と懇談をされました
記念写真 | |
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西湘支部だより
平成17年度西湘支部会が開かれました。
*日 時 11月12日(土)11:00より
*会 場 大雄山最乗寺(南足柄市)
*参加者 支部会員15名、本部2名(野村会長、斉藤副会長)
・大雄山駅前に集合し、5台のマイカーに分乗して会場に乗り入れました。
・3回目の支部会でしたが、5名の初参加者を迎えて、自己紹介、支部長挨拶、
会長挨拶に続いて役員改選を行い、飯山支部長(49期)と細川事務局長(50期)
が再選されました。
・昼食はお寺お手製の二の膳付の精進料理を頂きましたが、思いがけずミニボ
トルの日本酒(銘柄:大雄山)も添えられていて、気楽に食事を楽しめました。
・昼食後は本堂で座禅に挑戦しました。短時間でしたが、ほとんどの方が初め
ての座禅でしたので、貴重な体験になった様子でした。
・最後は、紅葉し始めた広い大雄山最乗寺の境内を散策しました。三百数十段
の階段を登って奥の院まで行こうという方はさすがに居ませんでしたが、談
笑しながらの散策でより親しく交遊できた様子でした。
★大雄山最乗寺は曹洞宗の格式高いお寺ですが、この地方の貴重な文化財で
あり観光資源でもあります。私たちが支部会の会場にここを選んだのも、
宗教的側面よりも文化的・観光的側面を重視したからであることを、一言
付け加えさせていただきます。(H)
2005年6月26日、仙台三井アーバンホテルにおいて宮城真澄会が開催されました。
宮城県内の会員60名のうち、当日は、42期~66期、通信制 12期~16期の14名が出席し、
本部から野村会長も駆けつけました。特に、仙台市近郊から1時間以上をかけて6名の方が参加しました。
会は、11時30分から始まり、2次会のお茶の会にも全員が参加して、平沼時代に還り楽しいひと時を過ごしました。
2005年6月26日、仙台三井アーバンホテルにおいて宮城真澄会が開催されました。
宮城県内の会員60名のうち、当日は、42期~66期、通信制 12期~16期の14名が出席し、
本部から野村会長も駆けつけました。特に、仙台市近郊から1時間以上をかけて6名の方が参加しました。
会は、11時30分から始まり、2次会のお茶の会にも全員が参加して、平沼時代に還り楽しいひと時を過ごしました。
湘南支部だより
青柳初子(48期)
湘南真澄会を2004年11月20日(土)、鎌倉・くすの木で開催しました。
児玉正先生、29期森(深津)しづ様をはじめ71期まで29名の参加がありました。
シェフ心づくしの料理をいただきながら、あっという間に楽しい時間がたち、最後に戦前の歌詞で校歌を歌いました。旧制と新制の同窓生が同じ校歌を歌えることは稀有のことで誇らしく思いました。本会は比較的人数が多いので会場探しなどに苦労があります。今後,地域の再配分も考えたいと思っております。